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まだ小学生のころ、滝川から琴似のおばさんのところに、よく行きました。札幌駅で乗り換えて、琴似駅に到着すると踏切があって、その前に森永のマークのある黄色の建物。線路ずたいの道路を小樽方向へ発寒のおばさんの家に行くのに、途中、寿みその工場横をとおりました。発寒小学校前の踏切からは小樽方向に遠く立体交差があったなあ。踏切を渡って、発寒郵便局前がおばさんの家でした。いまから、半世紀前の状況がよみがえって、とても幸せな気持ちになります。本当に貴重な動画をありがとうございます。
本件、ご丁寧なコメントをありがとうございました。
私は現在57歳ですが、子供の頃京都~丹後大宮間をSLでよく帰省していました。その時の走行音と似ているのがこれ!!今なら2時間で着くところを当時は4時間半かけて、この音に揺られて旅をしたことを思い出しました。ありがとう!!
本件、ご丁寧なコメントを賜り、誠にありがとうございました。(貴コメントをいただいてから返信したつもりでしたが、未対応の表示が出ておりましたので、改めてコメントのお礼を申し上げる次第であります。)
懐かしいし、面白いです。暑い季節のせいか、なかなかドレン切らないなぁとか、発車合図のブザーはいつの間にか無くなったなぁとか、色々思うところです。貴重な録音有り難うございました。
寝ている時に聴きましたが、なんだがタイムスリップした感じがしました。昔の録音とは思えないほどクリアで驚きました...
【rokutetsuさんに大感謝】貴重な録音公開有り難う御座います。当時、札幌は電化で蒸気列車は無いと思っていましたが、あったんですね。今、初めて知りました。小樽駅発車シーン最高に良いです。発車ベルの後の《発車合図のブザー音》そして汽笛一声は涙ものです。又、詳しい説明も大変参考になります。有り難う御座います“にわか鉄道ファン”の俺でも良く分かります📱全くの🔰です。これから録音状態も最良のrokutetsuさんの歴史的にも貴重な蒸気列車走行音を全て聴かせて頂きます。有り難う御座いました。
本件、ご丁寧なコメントを賜り、真にありがとうございます。気に入っていただけた旨、うれしく思っております。
はじめまして、この動画を見て、びっくりしたのは、昭和46年に電化区間の小樽・白石間にまだ定期列車で蒸気機関車牽引の列車が残っていたんですね、初めて知りました。てっきり、昭和43年8月の函館本線小樽・滝川間電化された際に旅客列車は711系か電気機関車ED76に、全て置き換えられたと思いました。これを聞いてると、平成時代に復活したSLクリスマスin小樽号を思い出しました。こちらも、指定席料金も安いからよく乗りました。なかなか出てこない函館本線の通勤列車の貴重な音をありがとうございました。
本件、ご丁寧なコメントを賜り、誠にありがとうございました。気にいっていただけた旨、うれしく思っております。ありがとうございました。
懐かしいです、私は1960年に札幌~銭函間を一年間通学に、使っていました当時岩見沢や江別辺りから、小樽に買出しのおばさん達(ガンガン部隊)と一緒になると、桑園駅辺りから朝の弁当を、食べ始めるのでいっも一緒だからわれわれ学生にも、時にはごしょうばんに厚かる事が有り楽しい、一年間でした。
さくらい様、本件、ご丁寧なコメントを賜り、真にありがとうございます。当方の作品が懐かしい思い出を呼び起こしてくれた旨、とてもうれしく思っております。
この当時の銭函―手稲―琴似の各区間は、駅間距離も長い事もありかなり飛ばしてましたね^^
本件、コメントを賜り、真にありがとうございました。
この動画は国宝ものですなあ。あの当時の通勤通学列車の走りを録音して、さらに今まで保存していたとは。当時の客車というと、天井の照明が山高帽をひっくり返したようなもので、中には裸電球が暗く灯っていて非常に暗かった。足元はスチーム暖房で暑い上に、窓は二重でさらに暑かった。吸殻入れとジュースの栓抜きも完備されていた。汽車が発車すると、前の車両から後ろの車両へ順々にガタガタと引っ張る音がして、窓の外は蒸気で真っ白だった。そういえば、琴似駅を降りるとすぐに踏切があって、遮断機がえらく大きかった記憶があります。貴重な動画ありがとうございます。毎晩、聞きながら懐かしい時の世界に浸りたいと思います。
本件、ご丁寧なコメントを賜り、真にありがとうございます。気に入っていただけた旨、嬉しく思っております。ありがとうございました。
こういう列車は復刻版や古本のは時刻表、このような動画や音声でよく妄想していたものです。時刻表を見ていると、札幌まで43レ、札幌から821レだったようです(1969年時点)札幌までは荷物列車43レに連結されていたようですね。
蒸気機関車に乗ったことのない世代のものですが、客車内でこんなに音がするものなのですか?すごい迫力ですね。
本件、コメントをいただき、ありがとうございました。現在、全国には動態保存された10台以上のSLが週末のイベント列車を牽引しています。ぜひ、乗ってみてください。
懐かしい、蒸機が観光では無く、現役だった時代😢(当時の時刻表は、蒸機牽引列車には、機関車のイラストが描かれてましたね。😊)
本件のコメントをありがとうございました。
中二の時、朝起きて桑園から岩見沢まで乗りに行った。なぜか、電化区間をSLが駆け抜けていた。夕張鉄道も野幌から由仁まで走っていて乗った!
岡村様。本件、コメントをいただき、真にありがとうございました。
気持ちいい。私には音楽に聞こえます。
本件、コメントをありがとうございました。気に入っていただけた旨、うれしく思っております。
音の聞こえ具合で力行をあてているのかブレーキを入れているのか、なんとなくですが わかった気が出来ました。。動画が性に合わず もっぱら 写真と音を追っかけています。 昔はニコンにトライX でしたね今はコンパクトデジカメ&ICレコーダーと変わってしまいました。
本件、コメントを賜り、真にありがとうございました。「トライX」、なつかしいです。
録音の質が素敵ですね。自分は生録をやれる余裕ガなかったので、音を聞かせていただけることは嬉しいです。この71年はまだ急行ニセコの62が9月のラストランまであった当時に921列車に乗り札幌でなんかして、また小樽方面に戻るか岩見沢から室蘭本線に行くか、何でもありの時代に北海道にいた(行けた)のは羨ましいです。このD51の仕業は、どんなものなったのでしょうか。岩見沢のカマでしょうか。小樽までは何のスジで走るのか。貨物列車で行くのか。または小樽築港のカマか。私は羽越本線、奥羽本線、磐越西線、小海線、飯山線などに行くのが精々で北海道は72年3月から20回と少し行くことになりました。しかし、昔の北海道は全く今と違い、北海道の人々には申し訳ないですが、昔の北海道の方が良かったと思います。
本件、ご丁寧なコメントを賜り、誠にありがとうございました。このD51は小樽築港区のカマでした。当時の撮影した写真ネガを紛失してしまい、機番の確認はできておりません。また、スジも不明です。悪しからずご了承ください。
@@rokutetsu さんお返事を賜りましてどうもありがとうごさいます。小樽築港のD51ならば、納得しました。きっと海岸線を走り札幌まで走るのは機関車が人間なら嬉しい仕事だったのかもしれません。どうもありがとうございました。
発車のベルが999号のそれと一緒で感動!
本件、コメントを賜り、誠にありがとうございました。
まだ小学生のころ、滝川から琴似のおばさんのところに、よく行きました。
札幌駅で乗り換えて、琴似駅に到着すると踏切があって、その前に森永のマークのある黄色の建物。
線路ずたいの道路を小樽方向へ発寒のおばさんの家に行くのに、途中、寿みその工場横をとおりました。
発寒小学校前の踏切からは小樽方向に遠く立体交差があったなあ。
踏切を渡って、発寒郵便局前がおばさんの家でした。
いまから、半世紀前の状況がよみがえって、とても幸せな気持ちになります。
本当に貴重な動画をありがとうございます。
本件、ご丁寧なコメントをありがとうございました。
私は現在57歳ですが、子供の頃京都~丹後大宮間をSLでよく帰省していました。その時の走行音と似ているのがこれ!!今なら2時間で着くところを当時は4時間半かけて、この音に揺られて旅をしたことを思い出しました。ありがとう!!
本件、ご丁寧なコメントを賜り、誠にありがとうございました。(貴コメントをいただいてから返信したつもりでしたが、未対応の表示が出ておりましたので、改めてコメントのお礼を申し上げる次第であります。)
懐かしいし、面白いです。暑い季節のせいか、なかなかドレン切らないなぁとか、発車合図のブザーはいつの間にか無くなったなぁとか、色々思うところです。貴重な録音有り難うございました。
本件、ご丁寧なコメントをありがとうございました。
寝ている時に聴きましたが、なんだがタイムスリップした感じがしました。
昔の録音とは思えないほどクリアで驚きました...
本件、ご丁寧なコメントを賜り、誠にありがとうございました。(貴コメントをいただいてから返信したつもりでしたが、未対応の表示が出ておりましたので、改めてコメントのお礼を申し上げる次第であります。)
【rokutetsuさんに大感謝】
貴重な録音公開有り難う御座います。当時、札幌は電化で蒸気列車は無いと思っていましたが、あったんですね。今、初めて知りました。小樽駅発車シーン最高に良いです。発車ベルの後の《発車合図のブザー音》そして汽笛一声は涙ものです。又、詳しい説明も大変参考になります。有り難う御座います“にわか鉄道ファン”の俺でも良く分かります📱全くの🔰です。これから録音状態も最良のrokutetsuさんの歴史的にも貴重な蒸気列車走行音を全て聴かせて頂きます。有り難う御座いました。
本件、ご丁寧なコメントを賜り、真にありがとうございます。気に入っていただけた旨、うれしく思っております。
はじめまして、この動画を見て、びっくりしたのは、昭和46年に電化区間の小樽・白石間にまだ定期列車で蒸気機関車牽引の列車が残っていたんですね、初めて知りました。てっきり、昭和43年8月の函館本線小樽・滝川間電化された際に旅客列車は711系か電気機関車ED76に、全て置き換えられたと思いました。これを聞いてると、平成時代に復活したSLクリスマスin小樽号を思い出しました。こちらも、指定席料金も安いからよく乗りました。なかなか出てこない函館本線の通勤列車の貴重な音をありがとうございました。
本件、ご丁寧なコメントを賜り、誠にありがとうございました。気にいっていただけた旨、うれしく思っております。ありがとうございました。
懐かしいです、私は1960年に札幌~銭函間を一年間通学に、使っていました当時岩見沢や江別辺りから、小樽に買出しのおばさん達(ガンガン部隊)と一緒になると、桑園駅辺りから朝の弁当を、食べ始めるのでいっも一緒だからわれわれ学生にも、時にはごしょうばんに厚かる事が有り楽しい、一年間でした。
さくらい様、本件、ご丁寧なコメントを賜り、真にありがとうございます。当方の作品が懐かしい思い出を呼び起こしてくれた旨、とてもうれしく思っております。
この当時の銭函―手稲―琴似の各区間は、駅間距離も長い事もありかなり飛ばしてましたね^^
本件、コメントを賜り、真にありがとうございました。
この動画は国宝ものですなあ。
あの当時の通勤通学列車の走りを録音して、さらに今まで保存していたとは。
当時の客車というと、天井の照明が山高帽をひっくり返したようなもので、中には裸電球が暗く灯っていて非常に暗かった。
足元はスチーム暖房で暑い上に、窓は二重でさらに暑かった。
吸殻入れとジュースの栓抜きも完備されていた。
汽車が発車すると、前の車両から後ろの車両へ順々にガタガタと引っ張る音がして、窓の外は蒸気で真っ白だった。
そういえば、琴似駅を降りるとすぐに踏切があって、遮断機がえらく大きかった記憶があります。
貴重な動画ありがとうございます。
毎晩、聞きながら懐かしい時の世界に浸りたいと思います。
本件、ご丁寧なコメントを賜り、真にありがとうございます。気に入っていただけた旨、嬉しく思っております。ありがとうございました。
こういう列車は復刻版や古本のは時刻表、このような動画や音声でよく妄想していたものです。
時刻表を見ていると、札幌まで43レ、札幌から821レだったようです(1969年時点)
札幌までは荷物列車43レに連結されていたようですね。
本件、ご丁寧なコメントをありがとうございました。
蒸気機関車に乗ったことのない世代のものですが、客車内でこんなに音がするものなのですか?すごい迫力ですね。
本件、コメントをいただき、ありがとうございました。現在、全国には動態保存された10台以上のSLが週末のイベント列車を牽引しています。ぜひ、乗ってみてください。
懐かしい、蒸機が観光では無く、現役だった時代😢
(当時の時刻表は、蒸機牽引列車には、機関車のイラストが描かれてましたね。😊)
本件のコメントをありがとうございました。
中二の時、朝起きて桑園から岩見沢まで乗りに行った。なぜか、電化区間をSLが駆け抜けていた。夕張鉄道も野幌から由仁まで走っていて乗った!
岡村様。本件、コメントをいただき、真にありがとうございました。
気持ちいい。私には音楽に聞こえます。
本件、コメントをありがとうございました。気に入っていただけた旨、うれしく思っております。
音の聞こえ具合で力行をあてているのかブレーキを
入れているのか、
なんとなくですが わかった気が出来ました。。
動画が性に合わず もっぱら 写真と音を追っかけています。
昔はニコンにトライX でしたね
今はコンパクトデジカメ&ICレコーダーと
変わってしまいました。
本件、コメントを賜り、真にありがとうございました。「トライX」、なつかしいです。
録音の質が素敵ですね。
自分は生録をやれる余裕ガなかったので、音を聞かせていただけることは嬉しいです。
この71年はまだ急行ニセコの62が9月のラストランまであった当時に921列車に乗り札幌でなんかして、また小樽方面に戻るか岩見沢から室蘭本線に行くか、何でもありの時代に北海道にいた(行けた)のは羨ましいです。
このD51の仕業は、どんなものなったのでしょうか。
岩見沢のカマでしょうか。
小樽までは何のスジで走るのか。
貨物列車で行くのか。
または小樽築港のカマか。
私は羽越本線、奥羽本線、磐越西線、小海線、飯山線などに行くのが精々で北海道は72年3月から20回と少し行くことになりました。
しかし、昔の北海道は全く今と違い、北海道の人々には申し訳ないですが、昔の北海道の方が良かったと思います。
本件、ご丁寧なコメントを賜り、誠にありがとうございました。このD51は小樽築港区のカマでした。当時の撮影した写真ネガを紛失してしまい、機番の確認はできておりません。また、スジも不明です。悪しからずご了承ください。
@@rokutetsu さんお返事を賜りましてどうもありがとうごさいます。小樽築港のD51ならば、納得しました。きっと海岸線を走り札幌まで走るのは機関車が人間なら嬉しい仕事だったのかもしれません。どうもありがとうございました。
発車のベルが999号のそれと一緒で感動!
本件、コメントを賜り、誠にありがとうございました。